2021・6・7 instagram

100年企業

売るものも、お金も、社屋も無くなっても

人と文化さえあれば、企業は続く

Photo by Marily Torres on Pexels.com

永続的発展、、企業である以上いちばんの関心事ですし、世襲家業であれば尚更です。親から子へ、子から孫へ、バトンを受け継いでいくことの素晴らしさ(同時に難しさ)はわたし自身かつては生き甲斐でもありました。

前にも書きましたが、5代目である私はわたしが死んだ後も少なくても同じ5代、そして永続的に我が企業が社会に存在させることのみしか考えてはいなかったような気がします。そのような事、人間の業を超えています。ですが本気で無知な私は、自分にどんどん厳しくなり、同様の情熱を注ぐことを社員に求めました。

家族より友より、それが大事と思っていました。よっていつも頭の中に靄がかかった状態。後に妻に「時間は取り戻せない」と言われた時はショックで立ち直ることが出来ませんでした。

わたしは間違っていたのでしょうか。この2年間何度も何度も自問自答を繰り返しました。結論を言いますと、GOODかBADで判断する事はやめました。

永続的発展を求めるは良し。然し求めるならばそこに「ある理」が存在することに気づいたのです。

それは、どれほど人を大事にしているか。そしてそれがどの程度文化レベルまで落とし込まれているかということです。

前職である私の実家の企業は、本年で創業140年になります。創業時は荒物や旅行具(草鞋や馬具など)、そこから人々の移動手段の変遷と共に、コークス燃料、ガソリン、そして戦後は建設資材の卸売に一本化しました。

昭和20年8月2日の空襲により、商品、母屋、社屋は全て焼かれ商店の皆さんも一度は離散したそうです。

しかしその後、祖父が焼け野原の整理をしていると、一人そしてまた一人と仲間が集まって来て事業が復活したそうです。

私はこの話を聞いた時すごい!と思いました。実質は一度なくなっていると言っても過言ではない。然し、明らかに140年の歴史は流れています。企業は人だということが、自社で実証されていることに誇りを持ちました。

事業のことを申し上げれば、やはり時流ではなくその時に相応しいことを行って来たということでしょう。「あれが流行っているから」では無く「その時必要な事は何か」に特化できるかだと思います。

そこから私は、100周年の時に製作した社史を役員で毎朝輪読することを始めました。会社を去る最後まで続きましたが、どれだけ諸氏の心に留まったか、今ははかることができません。

文化は一朝一夕には変わりませんし、一つ二つの取り組みでは変化はしません。結局、社長の徳を持って個人を尊重する集団である事。力不足を痛感しました。

関連する所で、本日尊敬する清水信博様のFBを拝見して感銘を受けました。

「私は次に経営を行う人々には『会社は潰してもいいから、思い切りやってみろ』と言いたい。誰も好き好んで会社を潰したいわけはない。然し若者を萎縮させてなんの得があるのだろうか。」

いつの日か、私の立ち上げた企業を大きく育て上げ、想いを継ぐものに声高にその様に伝えられたら。。

今日も出逢い多き一日です、、

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