2021・6・4 Instagram

「天災」と「人災」

最大の人災は

「想像力」と「創造力」

の欠如

ニューノーマルは自分の手で作り出す

Photo by Artem Podrez on Pexels.com

コロナ禍において先の読めない不透明な環境下。

私達は「安心」と「安全」を求めます。安全とは生活において危険が身に及ばないことそのものを指しますが、安心とは心の様相を言います。

「安心」それをもたらしてくれる存在こそ、この人間社会においてはリーダーと呼ぶべき人でしょう。

コロナ禍においてこれまでリーダーと言われてきた、国の指針を心の底から信頼することが難しい状況になってしまいました。

そもそも安心とは何ことを指すのか。元来人は明日をも知れぬもの。しかし、私達は、間違いなく維持されるであろう生きる為の保証を無言のうちに手に入れたつもりで生きて来ました。

まだ、陽が極まらない状態では陽は最高点まで登り続けていきます。

しかしいつの日か必ず、陽は傾いて行く。これは不幸な事でも、悲しい事でも無く、摂理です。

人は何からでも学ぶことができます。

この不幸なるパンデミックは、あまりにも多くの事を人類に齎しました。

既に多くの賢人が言っている、いや言って来たように、大きな潮目を迎えています。

良き時こそ次世に備え手綱を占め、悪しき時こそ明るさを絶やさぬ、真のリーダーを求めているのではないでしょうか。

人は悪しき事に関しては、その状況になければ中々気づく事ができない生き物です。

しかし、平時の内にこそ、次に備える事が求められます。

それは、物質的な事ではなく、国なら国、企業なら企業、家族なら家族、それぞれの集合体としての「智」を浸透すること。それを持って「治」を実行することでしょう。

当時、私は先を憂うことと行動する事はできましたが、残念ながら徳を持って人心を導く事ができませんでした。

どんなに、正解を求めても、どんなに先を憂いでも、どんなに努力をしていても、すべて人を守りたいと思う気持ちに発した「智」でなければ反対に浸透していきます。「怒」を持って先が見え過ぎると、流さなくても良いものを流すことが多いのです。

事業を承継する者は、もともと敷かれた上を走るのですが、それであるが為に、自らの体裁や権限に拘ります。

「善なる大いなる目的」があるとしても残念ながら、相手を慮らず力で押し進めればそれはアウトです。

口を開けば「時代が違う」「手遅れになる」と言いたくなりますが、残念ながらいつの世も変わらぬ不変の断りがあります。

それを知るまでは、成功はしても数年の話、長くて自分の代、一瞬の花火のようなものでしょう。

自分の代のことしか考えていない社長ではその以前の問題ですが…

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