2021・5・27 Instagram

話を聞いて欲しいなら

何時間でも いつまでも

あなたのそばで話を聞きます

だから

自分を責めることだけは言わないで

Photo by Ben Mack on Pexels.com

自分にマネジメント能力が無いと、自分を責め続ける課長がいました。

責任感が強く、仕事に手を抜く部下には正面から向き合い、それと引き換えに自分に厳しい方でした。

部下に手をかけ心を寄せ、それでもなかなか成果を出すことができない事を我が事の様に感じ、毎日陰で涙を流していました。

私は日々面談を繰り返し、励ましそして勇気づけ、いつの間にかその方の部下やその方を取り巻く環境にはあまり目を向けず、本人の真摯な姿勢に益々重用していきました。

その方は、周囲から妬みの対象となりました。

私は更に仕事に打ち込むその方を、励まし勇気づけ一方的に同志のように感じていました。

ある時、自ら降格を申し出てきました。私はそれを許さず妬む者、そしてその方に匹敵するに満たない情熱を傾けない役職者に対し、厳しい姿勢で臨む様になりました。

厳しい姿勢といえば聞こえがいいです。私は自ら分断の状況を社内に作り出し、一方を切り捨てていきました。

私は自分から社員を選別し、そして私の方から手を離していったのです。

その後の事は語るまでもありません。

目に見えている事、それだけでは片手落ちどころか3割も見えているとは言えないでしょう。

数値による現実を、どの様に受け取るのか。それですら見ているものの世界観に過ぎません。

その対象が人間ともあれば、そう簡単に現実を判断することは容易ではありません。

私は仕事に情熱を傾ける者と書きましたが、私には真に見えていない事が多過ぎました。

今思えば答えは簡単です。

「信頼していなかった」

それにつきます。

なぜ私は、その様な姿勢になってしまっていたのか。なぜ私は、完全に冷静さを失っていたのか。

未だ答えが出ません。

忘れられない言葉があります。

私が前職で父から社長職を譲り受けた時のことです。父は私の住む八王子市の地元紙の取材に応じました。

社長職を譲った理由として父は「アイツは、人と正面から向き合える奴。大丈だろう」とありました。

たった一行。その言葉が心の底から嬉しかったです、、、その言葉だけでどこまでも飛べると感じました。

いつから私は、人を信じる事ができなくなってしまったのか。異常とも思えるほどに将来を憂い、寝食も忘れていたあの頃。同じ境遇の2世社長、いつ迄も幸せが続くと信じてやまない社員を心のどこかで蔑んでいたのです。

社長として、将来を憂うならその源泉は深い愛情にあるべきです。私の関心は人に向かず、会社体裁そのもの、そして自分の名誉に向いていました。

信じると言う事を行ずるにはどうしたら良いのでしょう。

今、私が思うこと。それはひたすらその人の話を聴くと言うことだと思います。「傾聴」です。

そして、「同感」ではなく、「共感」。前職社長時代、私が社長としてしてこなかったことです。

年月が経ち、今私は人の話を聴く事を生業にしております。

私にとってこの職は、誠天職だと思っております。

何故かって?

私には父のお墨付きがあるからです。

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