2021・5・14 Instagram

ルールは罰するためでは無く

守るために存在する

真実の想いやりは

一見、空虚に感じられたりする

Photo by Anders Kristensen on Pexels.com

仕事を通じて人生を学ぶ、、、皆さんはこの言葉を聞いてどの様に感じるでしょうか。かつて私は社員から楽しく仕事がしたいと言われたことがありました。もちろん私もそれに越した事はないとおもっていました。然しどうやら「たのしい」の概念も様々あり、その彼はワイワイガヤガヤの楽しさを求めていた様でした。私は仕事の厳しさの中に自己成長があり、組織の関係性の中で優しさを学んでほしいと願っていました。何が正しいとかではありません。

大切なことは我が社はこのやり方でいくと決め文化にしていくところです。

実際私は、今でもその様な組織を目指していますし、私のお世話になる企業では人間観の営みを追求する事で、組織の利益はもとより事業の円滑化を図っています。一人一人が役割を理解し、プロフェッショナルの立ち位置を決して崩すことのない企業はいよいよ暗黙知の世界へと意識を向上させていきます。具体的に言えば、注意することや指摘することをはっきり言わない、ほんの些細な心配りを見過ごした時に対処をしないなどは、決して認めません。目の前の人と対峙する事から逃げることを許す事はないのです。生身の人相手ですから、傷付きもすれば迷う事もある。それでも決して逃げる事はない。私はそんな素晴らしい企業を何社か知っております。

社内一人一人が輝いている企業。プロフェッショナルと言いましたが具体的に言えば、ルールを大切にしていると言う事です。特段難しいことではありません。しかし企業の中で、このルールを守ると言う行為がどれだけ難しいものか、知っている経営者も少ないです。特に後継の方、そんな事は当たり前だと思っていると、後で痛い目を見ます。一度決めた事でも顧客のため、プライベイトにつき、その様な時は守らなくても仕方が無いなどと上席が思っていたら後で必ず苦労します。いつの日か、事業開発や組織変換に迫られた時、まず思った通りに進みません。軌道修正に何人か離脱者が出るくらいのことは覚悟が必要です。どうしても守ることが不可能な場合は決められだルールに則り、手続きをする。そんな簡単なことができないのです。

以前私は、決めた報告をしない幹部社員を酒宴中の席まで追いかけて、夜更けに会社に呼び出し注意したことがありました。当時はパワハラという言葉はありませんでしたが、他の社員やBPからそんなのひどい、やり過ぎだと私が集中砲火を浴びる有様。何年もの間、社内に無関心さを植え付けていた私の責任です。

また、ルールが守れないから、新しいルールを作りましょうと言う発想も愚の骨頂です。

いかがでしょうか、素晴らしい経営者は最低限の制限は最高の能力を引き出すことを知っています。

それは限界を知ることで、無限の工夫を生み出す営みに良く似ています。

なぜなら、ルールとは人を罰するためでなく、守るものだと知っているからです。

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