2021・5・13 Instagram

社会的企業とは

社会問題の解決を目的として

収益事業を行う事業体だが

そのような定義は数年後無くなるだろう

それを目的としない企業は生き残れない

Photo by Matheus Bertelli on Pexels.com

社会的企業とは何か、、語源は1980年代に遡るようだが、社会問題の解決を意図する企業と定義するならば、広く捉えればほとんどの企業がそこにあてはまるはず。

なぜなら多くの企業の理念には顧客・社員・そして社会の発展繁栄を謳っているから。

しかしながら、なぜ社会的企業という名が極めて特徴的な存在のように感じてしまうのか。

元来、商いは近江商人三方良しに代表されるように日本古来からの社会的精神が深く根付いていた。

現在、社会的企業や社会実業家などの言葉に極めて特殊性を感じ、この時代においてようやく自社の活動に組み入れることが極めて先端活動であるかのような錯覚に陥るのです。

もし、企業の働き方、具体的には事業方針を見直すのなら、時代を遡り本来の人間の豊かさ、生き方の多様性を自ら充分に理解した上で着手すべきである。

人は習慣の生物。何十年も全てが物質的経済の前提で豊かさを得られると信じて疑わなかった多くの人々は、今10年後はおろか5年後すらも見通すことは難しい。かくいう私も。

であるならばいっその事、二百年三百年と遡ろうというのである。そこに社会的という言葉の本質、現代的に捉えれば落とし穴があるのではないかと、、、

かつて、私は自社の経営に勤しむ中、業界でよくこのような声を耳にした、、、

「我々が扱う商品はどうせこの世から無くなる物ではないから。」

確かにそうかもしれない。

しかし何の根拠があったのだろう。殆どの業界の有力者はそう言った。自分の命は永遠に続くとでも思ったのであろうか。

自分が生きている限りのことでそう言ったのか。だとするならば、自身が世を去った後の未来ある若者を入社させることなどさっさと止めるべきである。

未来は想像するのでは無く創造する物であるならば、経営者の役割とは何なのか。

会えば挨拶のように「仕事がありませんねえ」や「最近仕事増えて来ましたねえ」などとばかり何十年も繰り返す日々に辟易としていた。

どの商品や製品でも社会に多いに貢献している。しかしそこには変化の法則にあった原理原則、いわゆる仕事の棚卸し習慣の洗い直しが必要だ。自身が時代の趨勢を敏感に感じ、且つ大きな舵取りをしていく事が、自らの手で出来なかった事は私の不徳であった。今は仕事のある無しに一喜一憂せず、社会に貢献している事を願うばかり。

25年ほど前、まだ私がマネジメントのイロハも解らぬ頃、大変光栄な事に上田惇生氏の講演を拝聴した事がある。

言わずと知れた、かのドラッカー氏直々に日本での分身と言われた方。講義の中今でも強烈に自身の心にある言葉。

「社会的な企業しか生き残る事は出来ない」社会的とは何であろう、、その疑問と共にその言葉は確実に私の思考・物の見方を変え、これまでの心の支えとなってきた。

過日、お世話になる環境関連企業の経営者の方からある話を伺い感銘を受けた。

「いつの日か、私たちの様な環境関連の事業など無くなって欲しい。それほど、環境を守るのだという強い想いで環境事業に取り組んでいる」事業に対する、なみなみならぬ意思を感じた。真の社会的企業。そしてその言葉が当たり前で無くなる世が一歩ずつ近づいている。

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